毎日英語・英会話

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    「いないことにされる私たち」(青木美希)を読んで【1/2】

    福島第一原発事故によって避難生活を余儀なくされ、10年が過ぎた今でも経済的、精神的な苦難の生活を過ごしている方たちの現状を追った、

      いないことにされる私たち 福島第一原発事故10年目の「言ってはいけない真実」

    を読みました。

    ラジオ番組「大竹まことゴールデンワイド」で著者の青木美希さんのお話を聞いて、すぐ購入しました。特に本書の中心となる、新潟県の避難先で自殺した男子中学生とその父親に関する部分は、後半3分の2を費やしていますが読むのを止めることができず、一気に読み終えました。


    (土日は「ラジオ英会話」の放送がないので、これからはこんな話題も交えて行きます。ご興味があれば読んでくださいね。) (^_^;)


    テレビなどでは、東日本大震災、いわゆる「311」でもたらされたこの恐ろしい事故からの「復興」の様子に比べ、その一方で未だに地元に戻れない避難者の生活が伝えられることは多くありません。

    その数7万人。避難者が生活する各市町村の報告を集計した人数です。
    ところが政府(復興庁)が発表する避難者数は「4万人」。
    実に4割もの方が「避難者」から消されている事実にも驚きます。

    しかし、それに気づいた避難者本人からの指摘や質問があっても、政府が実態把握に真剣に乗り出さず、多くの人が統計から「消された」状態であることはさらに驚きでした。


    そして、中学生の自殺です。

    この事件について、新潟県長岡市教育委員会が「いじめやトラブルはなかった」とコメントしたことに、著者の青木さんが疑問を抱いたところから取材が始まりました。

    それは、その2ヶ月半前に、避難先での住宅提供が打ち切られていたからです。経済的な問題との関わりはなかったのか、という疑問でした。

    避難先では非正規の仕事にしかつけず収入が下がったため、自費では家賃が払えず、経済的だけでなく精神的なダメージがのしかかった人が続出していました。


    この中学生の家庭は、看護師の母親は地元に残って病院で仕事を続け、父親が子供4人と長岡に避難していました。自殺した長男と、長女が当時小学生、そして保育園に通う次女、次男を抱え、父親は事故の賠償金を取り崩して子供の世話に専念する生活でした。


    約3年後、母親が長岡市の病院で働くことを決め、6人そろった生活が始まりましたが、震災の年の年末に返り咲いていた自民党政権は、福島への帰還を促すために避難者への住宅提供の打ち切りを決めました。


    この時長女は高校1年生。次女、次男も小学生になっていました。月額9万円の家賃を払う生活は続けられないと判断した父親は、1人で南相馬市に戻り、職につく決断をしました。


    南相馬放射線量が、とても子供を戻せる状況ではなかったことに加え、「母子避難」の方が補助の上乗せがあること、一人暮らしの実母の家に住めば家賃が不要、などが理由でした。


    長男が自室で命を断ったのは、父親が南相馬に戻った3日後、初出勤の朝でした。

     

    (長くなるので、明日に続きます。)