(前半【1/2】はこちらです。)
「『お父さんがいなくてさびしい』って言ってました」
長男が自殺した後、父親は本人が生前友人にこう言っていたことを知りました。
自分譲りで絵が好きで中学の美術部に入り、部活でもクラスでも人気者で、よく自宅に友人を連れてきてゲームを楽しんでいる・・・それが生前見ていた長男の姿でした。
単身で南相馬に戻る考えをを初めて話した時に、他の3人の子供と口を揃えて反対した以外は、ふだんの生活でも不満をほとんど口にしたことがなかった。
実は、ずっと1人で子供たちを身の回りの世話から支えてきた自分に、よけいな負担をかけたくなくて黙っていたのではないか。自分が家族から離れずに一緒にいたら長男は死なずにすんだのではないか・・・
自責の念にかられる父親の苦難の日々が始まります。
直後にうつ病と診断され、自殺を図って警察に保護されることも。
そして約8ヶ月後に離婚。妻も子供の自殺のショックでPTSDに苦しむようになっていました。
南相馬の実母の家で一人暮らしを始めたものの、また自殺未遂。
要介護2で北海道のホームに入居していた高齢の実母が見かねて戻らざるを得なくなり、二人で介護し合うような生活になりました。
おそらく、著者の青木さんが「中学生の避難先での自殺」という事件にたまたま関心を抱き、取材を通じた父親への支援(医療施設の紹介、彼について書いた新聞連載への読者の反響を伝えるなど)をしていなかったら、その後も何度かあった自殺未遂が未遂でなくなった可能性は高かっただろうと、この本を読んでいたら誰でも思うでしょう。
幸い(出版の時点では)、父親の体調は最悪期を脱し、少なくとも「息子の元に行きたい」とは言わなくなっていましたが、通院は続いていて、半年か1年に1度は入院する生活とのことでした。
ただし、その治療を支えてきた、避難指示地域の人々への医療費免除を政府が打ち切るという方針が出されたことを知った時は、激しく動揺したそうです。「自力で生活再建している人がいる一方で、一部の人だけへの支援は公平性を欠く」というのが政府の言う理由です。
「バランスを見て、人の命が失われるという状況にならないようにお願いします」
これは、医療費免除継続を復興庁に要望した時の、被災者支援団体の方の発言ですが、そのとおりだと思います。
7万人の避難者のうち4万人しかカウントされない問題と同じように、政府には被災者全体の実態を調査するなど、自ら知ろうとする姿勢が見えません。
公平性の名の下に支援を次々と打ち切ることで、避難者は経済的、精神的、肉体的に追い詰められていく一方で、制度が縮小されることで政府の(とくに現場の担当者の)問題意識は年を追うごとに希薄になってしまいます。
今、コロナ禍でのオリンピックの開催の是非が問われていますが、「復興」という明るい話題と結びつける一面もかなり目立ちます。一方、避難者のこうした実態が報じられることはこれからさらに少なくなりそうです。
また、これはこの父親だけに起こっていることではなく、同じような苦しみを味わっている人がたくさんいることが数字の上でも示されていて、問題の根深さを知ることができました。
この本の本当の問題意識は、当然原発再稼働の議論と関わります。ここではそれについては何も書きませんでしたが、こうしたことを置き去りにしたまま進めることがあってはならないと、強く思いました。
2回にわたる長文で、ネタバレ?と感じられたかもしれませんが、とんでもない。考えさせられることが次々と出てきます。
特に後半の、父親が心身ともに苦しんで極限まで追い詰められる様子は息もつけないほどで、一気に読み終わりました。
ご興味があれば、ぜひ読んでみることをおすすめします。